【1】江戸時代後期の「文字焼き(もんじ焼き)」が起源
- もんじゃ焼きの起源は、江戸時代の終わり頃(1800年代)。
- 当時、浅草や月島などの下町の子どもたちが、駄菓子屋で鉄板を使って焼いて遊ぶ「文字焼き(もんじ焼き)」というお菓子がありました。
- 小麦粉を水で溶き、砂糖や味噌を混ぜて鉄板に流し、ヘラで文字や絵を描いて遊んだのが始まりです。
→ 「文字を焼く」→「もんじ焼き」→訛って「もんじゃ焼き」と呼ばれるようになったとされています。
【2】明治〜大正期:「もんじゃ焼き」へ発展
- 明治時代になると、小麦粉文化がさらに普及。
- 駄菓子屋では、ソースや青のり、刻み野菜を入れた savoury(おかず系)もんじゃが登場。
- 東京の下町(特に月島・浅草・佃島・深川など)で子どもや若者に親しまれるようになります。
【3】戦後:下町のソウルフードとして定着
- 戦後、小麦粉が配給されるようになり、もんじゃ焼きは再び人気を集めます。
- 当時は食糧不足の中で、少ない材料でもお腹を満たせる工夫として、キャベツ・天かす・ソースを使ったもんじゃ焼きが広がりました。
- 月島では昭和30年代から専門店が増え、現在では**「月島もんじゃストリート」**として観光地化しています。
【4】現代:体験型の東京名物に
- 現在のもんじゃ焼きは、
👉 鉄板を囲みながら皆で焼く「体験型フード」
👉 外国人にも人気の“Tokyo Soul Food”として知られています。 - 特徴は、とろとろの生地を鉄板で混ぜながら焼くライブ感。
- 食べるときも、小さなヘラ(「はがし」)で少しずつすくって食べる独特のスタイルが、他の料理にはない魅力です。
🍳文化的な意味
もんじゃ焼きは、単なる料理というより、
- 子どもたちの遊びと学び(文字を焼く)
- 貧しい時代を支えた知恵の食文化
- 下町の人とのつながり・コミュニティの象徴
といった意味を持つ、江戸庶民の知恵の結晶なのです。


